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衣笠 (重巡洋艦)[きぬがさ]
衣笠(きぬがさ/きぬかさ)は、日本海軍の重巡洋艦(一等巡洋艦)〔#日本軍艦集2600年版p.27『一等巡洋艦 衣笠(きぬがさ) (諸元略)起工大正13年1月23日、進水大正15年10月24日、竣工昭和2年9月30日、建造所神戸川崎造船所-青葉と同型。ぐつと上つた艦首、反對にさがつた艦尾がよくわかる。』〕〔#達大正11年8月p.8『達第百五十一號 軍備補充費ヲ以テ大正十一年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ一等巡洋艦二隻ニ左ノ通命名セラル|大正十一年八月十一日 海軍大臣男爵 加藤友三郎|川崎造船所ニ於テ建造 衣笠キヌカサ|三菱長崎造船所ニ於テ建造 古鷹フルタカ』〕 。一等巡洋艦青葉型の2番艦〔#艦艇類別等級(昭和16年12月31日)p.2『軍艦|巡洋艦|一等|青葉型|青葉、衣笠』〕。 == 艦名 == 艦名は神奈川県の衣笠山及び衣笠城に因んで名付けられた〔#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.122『艦名考:山名に採る、横須賀軍港の南に三浦一族の居城たりし衣笠城址あり、此丘の名に採れるものなり(別に阿波国麻植・美馬の二郷に跨る標高3,705尺の同名の山あり、之に採るとの説あり、附記す)。』〕。衣笠竣工直前の1927年(昭和2年)8月1日、田村重彦(衣笠)艤装員長/初代艦長が軍務局長に対し「艦名は横須賀の衣笠山で良いのか」と問い合わせたところ、「御考察ノ通リ」という返答があった〔#軍艦衣笠艦名起原に関する件pp.1-2〕。だが東京水交社編著『日本海軍艦船名考』(昭和3年発行)に「徳島県(阿波国)の麻植郡・美馬郡にまたがる高越山(通称、阿波富士、衣笠山)に由来とする」との記載がある。阿波国衣笠山由来という説は当時から広まっていたようである〔。 また艦船研究家(海軍技術少佐)福井静夫は著書の中で「古鷹型四隻の艦名」という項目を設け、それぞれの由来を解説している〔#日本巡洋艦物語92-94頁〕。本艦(衣笠)については高越山(阿波富士)由来と断定し、京都龍安寺傍の衣笠山由来説や、横須賀の衣笠城址由来説を否定〔。「徳島県の衣笠山をえらんだうらには、多少でも、横須賀にも衣笠の地名があることの奇縁が考慮されたのかもしれない」としている〔。 艦内神社は京都府の平野神社と、神奈川県横須賀市三浦半島の走水神社。衣笠竣工後の1927年(昭和3年)1月12日、衣笠副長は平野神社、走水神社、衣笠神社に奉納額用と絵葉書用の艦写真を送付しようとしている〔#規則書類送付の件p.3『『昭和三年一月十二日 横須賀 衣笠 副長 軍務局戸塚中佐殿 豫テ今泉横須賀鎮守府副官ヲ介シ貴局ノ御内意様置候次第ノ平野神社、走水神社及衣笠神社ニ奉納額用及繪葉書用航影ハ別紙ノ通ノモノニ有之候ニ付御了知相成度右送付ス』〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「衣笠 (重巡洋艦)」の詳細全文を読む
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